失恋したことの記録

感情も思考もめちゃくちゃグチャグチャだから、そのまま書く 恋愛どうしたらいい?

 

1年半付き合った男と別れた。わたしは「別れたと思ってない」って言ったのと、まだ腑に落ちてないから別れてないかもしれないけどいったん文の便宜上別れたとする。

 

そんなもんとも思うけど、別れたいって言われて一晩経って、全然まだ悲しいし、いちおう仕事はしているけど気を抜いたら涙が出てくる。担当でこれからリリースしようとしてるデモ曲の失恋ソングを聴いて、全然泣いてる

 

今朝もしんどかった。夜は一応眠れたけど、(まじでどんなときでも眠れるのが長所だしそこに我ながら救われた)

こういうときは、ないし、いまはとにかく、寝て食べて起きて、その挙動の全てが辛くて重いけど何とかやりすごして、この一瞬を、一時間を、昼を、夜を、1週間を過ごす、とにかく時間を過ごす、それだけだ。それは知っている。

 

昨日彼と会って別れ話をした。

前日の電話で「別れたいと思って」と言われていて、次の日に向こうの最寄りの喫茶店で会った。

会うのが2週間ぶりだったので、わたしが大阪出張で買って渡そうと思っていたお土産を渡した。

「やっぴー」とか言って、いつも通りの、普通のテンションで、ああそういう感じかと思った。

 

で、多少雑談したあと、「そう、別れようかなって思って」と切り出されて平熱で色々話した。

心がぐちゃぐちゃでしんどくて、とか、余裕なくて、とか言われて、理由としては本当にそれのようだった。

他に好きな人ができて、とかではないと。

 

でも十分に言葉でその場で会話はできず、悔しかったしまだ少し納得いってなくて、

だって自分の感覚ではめちゃくちゃ急だったから。

 

「明日はどこ行こうか、映画がいいかな、展示かな」と送ったLINEに対しての電話で「別れたい」だったから。そのあと仕事で現場いったしな。まじ強くて、わたしは最高だ。

 

で話戻すと、そういう都合やペースや物事を、変に配慮したり保ったり大人見したりしないで、もっと踏み込めばよかった。あと1週間、1ヶ月早く、無理矢理でも踏み込めばよかった。無理やり夜に向こうの家に行って、一緒に眠ればよかった。

彼もわたしに甘えられないとか、ダサかったりダメなところとかを見せられないとか、思ってたんだろうな。

わたしがそれをよしとしなかった。のだろうな。

 

彼はこの半年くらいずっと書けてなくて、毎週は(多分彼は気を使って?)会っていたけど、浮かない、落ち込んだ顔で、会うことに対してもいくばくか頑張ってたもしれない。

その彼に対して、一番辛辣な時で言うと「書けないのは分かるし、でももちろん机に向かって頑張ってるのもわかるし、でもそれに対してわたしは具体的なアドバイスの手段を持ってないし、もうわたしはあなたに何も言えることはないよ」って、少し強めに言ったことがあった。2−3ヶ月前くらいかな。

 

正論ではあるけど、言うべきではなかった。そういう言動の積み重ねだったんだと思う。

もう彼はそれに対して怒ったり、反論したり、会話を積み上げたりすることはできなかっただろう。(人間関係に関しては元々論理的なひとではない)

それが追い詰めていたんだろうな。

とは思う。

 

それら、自分の推測とか反芻とか踏まえると別れ話されたのも妥当かもとは思う。

でも、でもさ、もっと、ひととひとなんだから、言葉でチューニングしたかったよ。それだってわたしは、彼からわたしへの裏切りや怠慢だとも思う。でもいま彼を責めるのは、よくない。そんな資格はないのも、頭ではわかる。でも今はまだ混乱していて、悲しくて、1年半ていう一定の年月を過ごしてもなおそんなお互いの深いところに接せなかったのかと思うと、ひたすら悔しい。

 

で、私が彼に言ったのは、もしわたしへの優しさや、多少の心がまだ残っているなら、別れるじゃなく距離を置くとか時間を置くとか、そういう選択をしたい、とも話しの席で伝えた。いつになってもいい、修復する類の約束をしなくてもいい、

 

で彼は悩んで黙りこくって2分くらいあって、「でも、区切りをつけるのがいいと思う」のようなことを言った。まあそうだろうと思った、彼は芯の部分で頑固な部分があるから、そういう(特に美学的なところは)譲らないだろうとも、予測はついた。だけどそういう頭の理屈の計算の話をしているわけじゃないんだよ。やっぱり説明というか、説明じゃなくても、言葉が足りていない。からまだ腑に落ちていない。

 

それは、わたしもあったよ。

付き合っている中でこの12ヶ月とか特に、なんか会話してても楽しくないなとか、なんでこの人はずっと何かの不満を言ってくさしてばっかりいるんだろう、とか、毎週待ち合わせのときの最初の表情が曇っているように見えて、「そんなつらそうなテンションならそもそも会わなくていいのに」と思ったり そういうのも、なんか もっと彼への配慮もふくめて会話の俎上に上げるべきだったんだね。多分

 

これは好きなんだろうか、情なんだろうかも悩んでいたし、でも、やっぱりたまに彼の純粋な、無垢な優しさに接して驚いたり、心が動いたりして、まあ反面社会性の低さとか、今後一緒に暮らす、生活を共にするイメージは持てなくて、それはそれで一つわたしは辛かったりはして、でも今になって思うとそれって愚かだなとも思う。極端だけど明日死ぬかもしれない人間同士で、その時々の快とか楽しさとか、満たされた感覚とか、それだけでよかったはずなのにな。杞憂でしかなかったというか。でもそれももうわからん。彼はいま多分一番生活が苦しくて、立て直して一度落ち着くにも1年くらいは最低かかるんじゃないか。(だから「心がぐちゃぐちゃ」してるんだろうし、余裕もないんだろうし)

 

それを、わたしは無償に支えたいと思うかどうか、改めて今の彼のつらそうな顔を見て、またギリギリの状況なことを話しで聴いた今となったら支えたいとも思うけど、でも、こんな現実主義で切断父性原理バリバリの自分に支えられるんだろうかという不安はある。せめてサポートの手段として勉強してカウンセラーの資格でも取ろうかなとかも思うけど、そういうことじゃないのかもしれない。わからない。

 

すこやかにどうにか暮らしを維持してほしいとも思うし、でもやっぱり世界一不幸になった挙句すぐに死んでほしいとも思う。いまはそういう段階だから、それはそう。ぶち殺すぞって思っている。でも実際に刃物は多分持たないし、人間てなんてアンビバレントな生き物

 

で、上述のような相手自身への感情もぶちあふれるし、並行して「もう一回これ積み上げ直すのかよ」という怒りやだるさもあって、まあこのくらいの年齢で失恋する人みんな思うことなんだろうけど、ね〜

 

あとなんか さらに上述の通りわたしは色々彼に対して思い悩んでいた中で、とはいえ関係は疑うことなく続くだろうと思ってた。時々わたしも他にいい人いないかなってその場限りの浮気心が芽生えながらも、(してないよ) でもやっぱりこの人の特別さは変わらないなと思っていたし、

 

また別の話だけど、親を見てたら、いっとき不仲だったり関係が悪化しても年月を経てひとつの形を描くんだな、と無闇に思っていたところもあるし、(今思うとガワからの印象というか確証バイアスバリバリの希望的観測でしかないんだけど)

 

あとは正直、(これは男女差なのか?)別にくそ嫌いになるまでは、ひとつハレーションが起きるまでは付き合ってていいじゃんとも思う。他にもっと好きな人ができたら、でいいじゃんていうか。

 

でもなんか、わたしの経験則上だけでいくと男あるあるの「関係ないし相手対象を綺麗なガラスケースに入れて、せめて腐る前にピリオド打ってそれを永久に美化したい」的願望?ってマジでなんなんだよ あれまじでむかつくしファッキンヘイト男性恋愛願望だ

ひらたく言うと別れた相手のことずっとちょっと好きみたいなやつ

 

なんなんだよ そんなもんなんの飯の足しにもならないんだからけちょんけちょんにぶつかって全て朽ちて無になって別れたらいいのに きしょいわー!「ううん、俺はそう決めたから」と言う時の美学ひらひらお涙きらきらのお顔やそのワンシーン、わたしの脳裏にも今回に限らずあるけどそのカテのその全部がファッキンシット削除済っす

 

で、まあそういう短絡的な悪口は出そうと思えば出てくるが、総じていまはやっぱり腑に落ちてないから、もう一回話したいなとおもってる

せめて納得して腑に落ちたいし、それはせめてもの相手の、お互いの責任だと思う。お互いの認識の形式として綺麗に終わることというか

 

 

いずれダメになった関係かもな妥当かなとも思うし、でもこの先12年経ってまた運命ないし不思議な奇跡クロスしたらもう一回、お互いひとまわりしっかりした状態で関われるかなとか(これはわたしの経験則上、失恋時のいちばんすこやかなマインドセット)だから今回の別れはまあ一旦の離脱だよね、っていうか

 

でまあ並行して自分を責める、もっとああしたらこうしたらっていう気持ちも油断したらばりばりあるし、自己責任論とか利害原則におかされて、彼の純粋さっていう唯一無二の良いところをサゲてしまってたわたしの愚かさや醜さも痛感してつらいし、もう、だめだ

人間関係、優しく弱く感受性が強い方に負担が偏ってその人が無意識のうちにすり減って関係自体破綻するという原則、どうやったら克服できるんだろう。もちろん絶え間ない自己反省と、相手への配慮と(小手先のティップス的なものじゃなく)、わたしみたいな人間は週一のチェックシートでも作るのがいいのかもな。しらんけど 感謝の気持ちを伝えたかとか、相手にしてもらったことを数えて列挙するとか そういう習慣の反復と定着でしか性格というか性根、気質って変わらないんじゃないか

 

 

ああもうなんか、相手のつらさとかしんどさ、限界さをつぶさに想像したり推し量ったりすると、それが全てコインの表裏として自分のいたらなさとか、人間的な成熟の欠如というか、優しさの不足というか、そういう根幹の大きなだめさ、よくなさとして自分に跳ね返ってきて、つらい

 

でもそんな合間でもなんとなく一息ついて窓辺で陽を浴びたり、現場で、仕事で会う方となんでもない雑談したりすると気持ちこころが和らいだり、少しずつ少しずつ平気になるような心地もする。まだ気休めだが、こうして数日、数週間、過ごしたら、もしかすると近日でこんな状態を抜け出せるのかもとも思う 客観的に 生来飽きっぽいから、わたしは自分自身の悲しみや憎悪ともそう長くは向き合えないだろうと思う。

 

 

彼がこの期間をまたじっくり何がし糧にして作品にするのかな。知らんけど 大学生の頃バンドマン沼にハマって失恋して相手を憎んでつらかったときあったけど、その1年後くらいにこの当時のことを描いた曲をリリースしてて、その曲がまあまあ良くて、リスナーの人からその曲が一定愛されているリアクションを観測したときにようやく「ああ悪くなかったな」と思えたことがあったので、時間は偉大だし、それでしか変わらないものがあるし、創作も偉大。

 

状況も経緯も着地点も全てがまじで最悪だけど、寝て起きて働いてるし、ジムの体験予約を取ったし、ローン組むし新NISA買うし、体と金はわたしを裏切らないはずだし、淡々と粛々とわたしは私をよくしていきます。これは決意であって、彼へのアンチテーゼとしての物質への回帰態度だ。一旦はこの憎悪や侮蔑でもって自家発電して、なんとか、日々をやっていきましょう。もう何もわからん。

「雨で視野悪く。

 

21時に店が大方閉まる地方都市で

人がまばらで 駅で働く少しの人も帰路を頭に浮かべた顔をしていて

みんなよそ見をして自分の安寧をもっていて

親に会いたくなってだめだな

 

何のためにってまた癖みたいに考えて、考えてることが嫌になった

何かや誰かを思って、一緒にいた時間に意味もくそもありませんように

 

みんなもとの暮らしに戻りたいんだろうな

誰かに罰されたり世間に弾かれたりしないことを願いながら

でも気持ちや感覚で言ったらみんな戻りたいんだろうな

ゆるされたくてその場所にいるみたいなことなのかな、と思った

楽しいや嬉しいという独立した感情や非日常を求めていながら

どこか実体のないものにすがるような 

そういう気持ちなんじゃないかな

 

 

 

 

10/11

自分の記憶力の悪さにうんざりする。

記憶力は悪いし、内容や量や集中度に関わらず人の話を7割しか聞けないし、注意力散漫だし、図形も地理も弱いし、空間認識能力が低いし、モチベーションにムラがあるし、言っちゃいけないことを言いがちだし、干支を最後まで言えないし、生活能力は低いし、タイミングを図るのがいちいち下手だし、ただそれ以外は最高な女だなまったく、、、、やれやれ、

と、いう形に落ち着くことにしています。

 

 

10/19

すごくしっかりしているのに、エスカレーターの乗り降りの際に無意識に、あの、手すりに体重をかけてぴょんって降りるやつをやる人とかに、すごく弱い 

ちびっ子の頃にやってたかやってないかの癖づけに由来すると思うんだけど、かわいいよね。そういう無駄で意味のないはしゃぎを行うちびっ子でありたかったな。

 

10/24

初対面の人の目を見て、綺麗だと思ってはっとする体験について

 

目が綺麗な人はたいてい魅力的な写真を撮るな〜と思っているんですけど、

結果、脳の神経回路とかに特有の構造があって、些細な目の動きや瞳孔の開き具合とかを視覚的に、反射的に、受け取って判断しているのかな、とか、

目が綺麗な人の間同士でだけ送受信できる電波帯みたいなものがあるのかもしれない、

など

 

すごく好きな誰かからLINEが来たとか、その顔文字が笑ってたとか、誰かと芯を食った話をしたとか、一瞬の不意な笑顔の目元の皺とか、そういうようなものを数えて寝ましょうね。クスン 

タピオカ・ネクスト

 

 

 

9/24

 

新しく友だちが増えて、

好きなものや格好いいものと、

嫌いなものの話をして、楽しかったです。

ばかな女を抱くことの話と、恋の話と、ねこは動作が単純でわかりやすくて愛おしい、という話と、自分の幅をひろく保つためにむずかしいものに触れることの話など。

自分の表現に熱量を傾けてる人はどんな形であれ魅力的だですね。

 

その人の年齢や所属を見て、私はこの人に好きとか大好きとか言っていいとか、会いたいっていつでも言っていいとか判断するの傲慢ですね。

そういうことを言うと自分が楽になった気になって

一時的にいい気分になるけど、そこで減った重たさは相手に渡ってるもの

 

9/26 

 

仲良いいとしい人たち、

各々生きていて各々すこやかにあってくれたら各々それで良いんだけど、

とはいえ対面で目視確認できるとやっぱり嬉しくなりますね。

 

わたしがエピソードトークのネタにすべく、もらう誘いにあれもこれもやりましょう〜って安易に乗っかることに対して、「ケンコバの風俗巡り」という例え。

 

9/27

 

好きな人たちに対して、生きていてと伝えることも責任が生じるから

なかなか勇気がいるな、と思いつつ、でもやっぱり生きてだけいてほしい、と相手に言うのは最低限なような気もする。

それはもうどんな道理や理屈も飛び越えた次元にあるマナーである、というのも納得する。けどもう少し先の未来で安楽死とか個人の尊厳とかそういうことがより一般的に語られたときに、わからないなあとも思う 

むやみなお悔やみやRIPなるメッセージがじわじわ自分を腐食している気がする

錯覚かもしんないけど 、それはひとしく錯覚じゃないかもしれないしね

あくまで内的・個人的な意思や感情が、表に出ることで別ものに変化するのはどうしようもなくて、ただ発信する手段や場所を持っている全ての人は自ずとそこに自覚的であってくれ〜と思います。

わたしものうのうと◯◯ちゃん好きだのありがとうだの安全な場所で無害づらして言ってばかりもいられませんね。

自戒を込めて みんな誰しもモンスターの子どもを飼っている。

 

メディテーション、マインドフルネス、などスピなるものの時代がきている気がするし、まあくるよねという気はする。不安だょね皆.....

私も二泊三日の抱腹絶倒マインドフルネス山籠りアンドワーケーション、withここらでいっちょ体質改善!みたいなやつに行きたいです。

 

23年生きてまあまあ経った身体が、

心や頭が、ここにきてどの程度変化しうるのか、ということに興味があります。

方向性や着地点の理想ありきですが....。

年々薄くなってる気はしつつも、俗物としての欲を削いでいきたい。

やはりいつ何を手放しても粛々と暮らせる人はつおいな。

側道

 

 

ものをしっかり書く場所があるのはどうなんだろうとずっと思っていて、

わたしが思ったことと、

わたしが思ったことを書いたり言ったりすることは

後者がいくらありのままで正確で明瞭であろうと、

別のことになってしまうし、異なる意味合いを含んでしまうし、

私が発するものは結果的に全て何かしらの媒体になってしまうので、

それがどうしても割り切れなくて決心できなかったけど、

(あとわけ〜女の自分語りなんて今の時代にありふれていてつまんないので)

 

そんななかでも、あらためてブログを作る理由は大体100個くらいあって、ひとつめは経年変化する考えや気持ちを後から辿って見るのはやっぱり楽しいと思った

ふたつめはわたしに関心を持つ人がいる場合に、こういう場所がある方が材料をそろえられて良いような気がすること

みっつめは最近初めて会った人に言葉が良いねと言われたので書いてもいいかななんて思ってること

わかる人だけで大丈夫で、本当は理由なんて何ひとつないです。

 

それで、ただものを書くにしても、自分の所属や立場を前提にすると誰かやどこかに影響が出そうなので、事実と詳細は抜きにして、思ったことと考えたことだけを書き留めることにします。

 

「大好き!」って書いた日は(わたしのことだ)とか(おれのことだ)と思ってほしいです。

 

とりいそぎ、近日のことをわすれないように

 

9/13 

初対面の人と会話して、その人を好きになる理由が「目が良い」でしかないことがあって、それでした。

 

言葉にしたら多分優しくて、柔軟で、同時に自分の神さまをちゃんと棲まわせていて、奥には少しだけ(少しだけ)孤独があって、とかになる気がするけど、とにかく良い目をしていて素敵だった

目見て芯食った会話を5分くらいしたら、わかることがある 気がする。

 

9/16

誰かの言葉や、そこに紐づく感触や記憶をお守りみたいに眠るときがあって、

そういうのを数えて安心したい時、安心しないとやってられない時あるね。

特定の何か一つを信じていないので、自分の思想信条は何によって形成されたんだろうってたまに考えるけど、考えきれなくて半端に終わる。

 

9/18

1伝えるだけで10理解して、表現したり行動したりする人はほんとうにすごい

仕事をする上でのコミュニケーション能力も同様だと思うので、私もちゃんと自走したい

 

9/19

自分の身体も心も自分のものでしかないので、自分の悲しみも幸せも地獄も同様に自分だけのものだな、って気づいて悲しくなった

一人でいても誰かといても本質的には生きて死ぬまで孤独なことを、何歳になってもなかなか受け容れられないの、私だけか?みんなどうなんだろう。100日くらいは平気に笑って暮らすんだけど、101日めに急に気づいて悲しくなる。

今日も明日もすこやかに暮らせることは奇跡的だなと思った

 

9/20

心理テストなどで「あなたは友人の相談にどう乗るタイプ?」という趣旨の問いがあると思うんですが 往往にして二択は

A)情緒的にサポートする。共感する。とにかく聞いてあげる。

B)論理的に助言する。どのようにすべきか、解決・改善策を考え、伝える。

で、

もちろん状況や相手によって違うぢゃ〜ん!と思いつつ、多分、前提として「わたしはあなたを大事に(したいと)思っていて、優しくするに際してその方策は何がいいかな?わたしはあなたに何をしてあげられるかな?」というコミュニケーションの過程を飛ばさずに踏んでいれば、しょうみAとBの判断それ自体によって大失敗することはないような気はするんだけど、

そういう気はしつつも、実生活でそれをただしく実行できるかというと別の話なのでむずかしいね。

余裕がないとき、視野が狭くなるとき、一歩振り返ったところにあるABの選択ミスと思ってしまいがちだけど、その前の地点で普段から会話して、伝えようとして、分かろうとしているのか、というところから問うていかないといけませんね。

 

もしかしてもうすでにすごく心が遠いところにある?のでは?って錯覚するとき、ほんとうに怖いね。気をつけます。

 

 

 

帰省したいね。

家族がいるという意味で実家は最高、それ以外は何も最高じゃないです。

米・日本海・草しかない居宅・寂れたデイリー・17時に無人になる最寄り・背丈ほど積もる雪・車高の低い車に乗る鳶職・窓ガラスを破られて引っ越した一家

ぽや・しみ